ハラから生きる

日本人は昔からハラ(腹)を大切にしている。

ハラが据わる、ハラができている、ハラが立つ、ハラが決まる・・

これらは身言葉と呼ばれるものだ。

ハラに意識が通り、頭ではなくハラの意志というものが優先される。

ハラの意志が定まると人は揺らがない。

揺らがない意志とは、ハラができていることで生まれるものだ。

腑に落ちるとは、ハラに落ちることだ。ハラが決まるとは、覚悟ができることだ。

頭で覚悟をするのではなく、ハラ。

人はすぐに頭で考えようとするが、だいたい堂々巡りをして混乱したり、余計な事を話したり、行動したりする。そのような話や行動にはハラに落ちたものがないので、信頼できない。

ハラができてくると安定し、リアルタイムの情報が入ってくる。それも目や耳といった頭に直結したものではなく、体性感覚のような身体を伴う意識に関わるものが入ってくる。

すると認識の拡大が起こる。認識が開かれ、頭の雑音が減ってくる。

ハラと頭が良い関係を築けたとき、呼吸が穏やかになってくる。

ハラから生きると、自分らしく居られる。自分の呼吸が戻ってくる。

自分の呼吸は自分にしかできない。それは比較するものではないし、確かにこの宇宙に、世界に生きている証なのだ。

一つの呼吸の中に宇宙を感じ、生命を感じる。

私たちはどこからやってきたのか?ハラができてくることは、自分が生命体であることを思い出させてくれる。生命は単独では生きられない。

生命同士の繋がりを感じ、その中に居る自分という認識はハラによって生まれるものだ。

そろそろハラを思い出す時期が来ている。頭で作られる社会は不安定だ。ハラで作られる社会は安定をもたらし、受け入れる(許す)力、繋がる(まとめ上げる)力を持っている。

今の人が本当に欲しているのはハラで作られる社会の姿ではないのだろうか。






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