コーチングBLOG

どんな時でも「間」というのは大事だ。

話しをするとき、間を間違うと話が分かりにくくなるし、言いたいことが伝わらない。

電車の中でもパーソナルスペースは大事だ。あまりに窮屈なのは苦痛になる。

何事も適切な間というものがあるし、間がズレると違和感を覚える。

少なくとも身体はそれに敏感だ。

頭で考えだすと間が取れなくなることがある。身体では間がとれるのに頭が邪魔をするのだ。

親しい人と会話するときは、間が小さくて済むし、知らない人と会話するなら間を空けて接するかもしれない。間は他者との関係性、今の状況などすべてを考慮したときに適切なものがある。

無限のバリエーションがあるなかで、これだ!という間を見つけることができる。

適切な間というのは答えがいくつもあるようなものではない。実際には1つと言っていい。

しかし、1つだからと言って、無限のバリエーションの間を否定することもない。

適切な1つが分かっていながら、無限の自由度も持っていることが本当に自由なのだ。

社会や教育(実際には科学至上主義と言える)に毒されると、問題を見つけ答えを出そうとする思考パターンが組み込まれる。

それによって評価され、価値は数値化される。

そして比較される「人間」というもので社会ができあがる。

そのような社会に組み込まれたら窮屈で大変だ。社会とも適切な間というものがあることを知る必要がある。

適切な間を知るには、自分の中心に敏感になっている必要がある。

自分の中心とは、「ゼロ」のことだ。しかし、「無」ということではない。

物体の重心は常に点で、それは面積ゼロだ。しかし、このゼロは「無い」わけではなく絶対に「在る」のだ。

ゼロはあらゆる状態を網羅するからゼロなのだ。

例えば、いろんな光が混ざり合うと透明になる。無色だけど光はそこに「在る」。

ゼロとはそういうもので、すべてを含んでいるので、ゼロになる。

モノの重心もまた、モノの全体を掌握しているから重心が決まる。すべてを足すとゼロ(重心の意味)になるのだ。

だから、ゼロになるとは何かを失うことではなく、すべてを統合して掌握できたことを意味する。

ゼロとはそもそも無限を意味するのだ。

ゼロになるからこそ全体になれる。無我になるからこそ大きな自分が目覚める。

だから自分という(人格的、思考的、感情的・・にバラバラな)ものを統合して、1つに統合したならそれはゼロになる。そして、大きな自分(本当の自分)が目覚めるスペースができる。

これは自分の中で適切な間というものを見つけることで起こることだ。

自分と対話するとは、単に自己分析することではなく、自分のあらゆる側面との適切な間をとり、その全体を掌握するポイントを探ることなのだ。

そうやって初めて自分というものが成長できる。

本当の成長とは単に何かを知ったり、記憶したり、知識が増えてできることが増える、ことではない。

それは社会的に必要なことかもしれないが、それだけのために「ここ」に居るのではない。

自分を磨く、魂を磨く、というがそれはまさに自分の中の中心(ゼロであり無限であるもの)に出合うためにすることなのだ。




あまり占いに詳しいわけではないが、占いはその人の情報場を読み取っているものと考えている。

情報場には、過去現在未来という時間をまたぐものがある。

時間というものが収縮し、格納されているところがある。既に未来や過去といったものは情報として存在するのだ。

それは常に今に影響を与え、今の状態を決めているものでもある。

占いとは、その影響を与えている情報を読み解く方法だ。

占いを絶対視してもだめだが、無視してもだめだ。

時に人は占いを信じ、盲目的になることがある。それでは自分の中心を見失っている。

占いで出てくる情報は、自分の中心からのズレを知るために優れたツールと言える。

中心が深まるほど因果を支配している法則から自由になっていくので、より自由な生き方ができるようになる。縛りから自由になるのだ。そうなると占いからも卒業する。

もし占いを活用することがあるなら、自分の中心は見失わず、自分を知ることに活用してもらいたい。

人生で本当にする価値のあることは何だろうか?

その答えを簡単に言うなら自分の中心を見つけ、磨き、表現することだ。

そう考えると人生はとてもシンプルだ。

何か複雑なことしないといけないとか、素晴らしい成果を残さないととか、頑張って努力して注目を浴びたいとか、・・このようなことは自分の中心から出てくるようなものではない。

人生に混乱をもたらし、道に迷い、本来歩むはずだった道に障害をもたらす。

もしこのような価値観が自分の中にあるなら、それは洗脳されている証だ。

親の教育によるものか、学校教育なのか、自分の中の劣等感によるものか、・・・多くの複合的要因によって人は洗脳される。

洗脳とは、自分が中心を見失っている状態だ。

洗脳を解くには自分の中心を見つけ、それをじっくり練ることだ。

単に自分の中心を一回や二回見つけたぐらいでは、人生に影響はあまりない。

人生は積み重ねの賜物だからだ。

時には自分の中心を見失い、外すこともあるが、その戻り方を知っておく必要がある。

※コーチングを受ける前に自分の中心の位置を知り、戻り方を習得しておくのは良いことだ。例えば「AIM意識の覚醒ワーク」はそのための方法を提供している。

何度も中心を外し、そして戻ることをしていると、次第に中心からのズレ(振動しているが)が小さくなってくる。

自分の中心から生きることが標準化してくると、その人は洗脳されにくい。なぜなら、自我が薄まるからだ。

もちろん中心から生きるときのレベル(深さ)というものがあるから、ここでは薄まると表現した。

洗脳されにくいので、自分の言葉というものが出てくる。他者から与えられた情報は鵜呑みにしないが、それを踏まえて自分の頭で考えられるようになる。

自分の言葉が出るようになると、そこに筋の通った話が現れる。

自分を極めていくこととは、自分の中心を見つけ、磨き(外れたら戻り)、表現することだ。

それができれば、自ずと自分のライフワーク(人生を掛けてやりたいこと)が見えてくる。

それは頑張ることでもないが、華やかなものでもない。楽なこともあれば、厳しいこともある。やっている本人は軸がぶれることがないので、淡々とこなすことになる。

重要なことは、自分はそれをやることが腑に落ちて(宇宙で最も)価値のあることだと心の底から思えることなのだ。他人の評価などどうでもいいのだ。

だが、本当にこれを極めていくなら、本当の意味で他人の利益になってくる。

それは自分の中心に行けば行くほど、自我が薄くなり、小さな自分(個人)という意識が消えていく。そして全体(大きな自分であり無我であるもの)を自分とするにようなるからだ。

人助けといったものは、自分の中心が極まったときに自ずとできるようになるのだ。

だからそんなことを最初から自分の中心に置いてはだめだ。

まずは自分の中心を知り、何度も外れるが戻りながら深め、少しずつ表現していくのだ。

そのようなことをやっていると必ずそれを認めてくれる人が出てくる。

その時、人生は一人で歩んでいるのではないことに気づくのだ。



自分の中心に意識を合わせると、やってくるものがある。

ヴィジョンだったり、意図だったり、さまざまだ。

自分の中からは何もやって来ないときも、いつの間にか必要な人と出会って、必要なことを受け取っていることがある。また与えることもある。

自分が何でもできないとと思っているなら、それは大きな勘違いだ。

私たちは大きな世界(宇宙、地球)の中に生かされている。呼吸だって空気があるおかげでできている。

この繋がりを直観的に、そして体感的に感じることが重要だ。

それには頭の思考を静かにしないといけない。

自分の中心からやってくるものは、頭にやってくるものではないからだ。

むしろ頭ではないところから来るものが本当だったりする。

頭は、そのやってきたものについて考えるためにある。

そうでなければ頭は記憶から引っ張り出して考え出す。それはいつも過去の話だ。

未来を描き、作り出そうとするなら、過去は一旦置いておこう。

今自分の中心からやってくるものに意識を向けていれば、今必要なものしか来ない。それでいいのだ。

先回りして作戦を練っておくことも時には大事な時もあるが、未来を過去の延長と見ずに真っさらにしておくこともまた大事なのだ。

自分の中心からくるものはいつでも自分にとって最善だし、常に自分の味方になってくれるものだ。

だからあなたは一人ではない。

常に助けはやってくるということを知っておいて欲しい。

最善とは何かすることでもあり、時には何もしないことでもある。

あなたはそのための羅針盤を常に持っているのだ。


本当の脱力には芯が必要だ。

体から力を抜くとき、単に表面的な筋肉を緩めるだけでは本当の緩みにはならない。

力を抜いているようで無意識に力が入っているところがあったりする。

そんなところは押してみるといい。

こそばゆい感じがしたり、痛みがあったりする。

筋肉は本来ふかふかだから、緩んでいるなら押しても痛くない。

固くなって硬直した筋肉は癒着をしている。

癒着をしているところを剥がしていくと、芯が現れてくる。

筋肉に対する骨だったりするが、芯ができてくると不要な力を入れなくて済むようになる。

不要な力を入れなくて済むので、外の情報を受け取りやすくなる。

不要な力が入っていると、それがノイズのように情報をかく乱してしまう。だから普段の生活でも不要な力みが入っていると、ノイズだらけで頭が混乱してしまい、本当に必要な情報をキャッチできないでいる。

力の抜き方が分かってくると、自分の中の芯が立ち上がってくる。筋肉の力ではない力(見えない力)が自分を支えていることが分かる。

地球や宇宙といったものが自分の身近に感じるようになる。

脱力するとは、腑抜けになることではなく、自分を支えている大きな力の存在に気づき、それを活用することなのだ。

立ったり、歩いたり、座ったりする、日常の動作にこそこの芯が必要で、ちょっとした所作に芯が通るかどうかで見えない力がそれに宿るかが決まる。

地球と、宇宙とコラボレーションして生きるには、まずは脱力することが必要なのだ。



私たちには中心がある。

体には重さがあるので、必ず重心というものがある。

そこは一点で支えることができる点なのだが、点なので本来は大きさなどない。

面には大きさがあるが、点にはないのだ。でもそこには確かに何かがある。その何かを表現などできない。「在る」としか言えないものなのだ。

この何かが「在る」ということを身体をもって理解していくことが人生でやるべきことと言える。

単に重さの話ではなく、思考や感情といった目に見えないものにも当てはまる。そして人間関係においてもそれはある。

中心はとても捉えずらいものだが、そこに行って初めて理解できることがある。


自分の中心に繋がることは何よりも大事だ。

何かを考えるにしろ、何かをするにしろ、自分の中心を捉えられないなら、物事の本質は掴めない。

他者の気持ちを理解する前に、自分の中心を捉える必要がある。

自分の中心は、自分であって自分ではない。そう、「在る」としか言えないものだ。

その「在る」ものを身体を通して、思考を介して理解していく。

この世界に存在するあらゆる物事は、この「在る」ものを理解するために存在している。

「在る」ものは、「空」と言っていいものだし、「神」とも言える。

それは形のないものだが、それを理解して生きるのと、無視して生きるのとでは人生が全く異なるものになる。


人間の幸福とは何か、豊かさとは何か、それらは自分にしか答えを出すことはできない。他人から教えられたものは大したものではない。

自分の中心から来る幸福や豊かさといったものこそ本当に望んでいることではないだろうか。

そのためには自分が中心からどれだけズレているかを自覚する必要がある。

ズレがあるほど苦しさや痛みを感じる。人間の苦しみとはどのようなカテゴリーでも、このズレから来るものなのだ。

「ありのままに生きる」とは、このズレを修正していきながら、中心を捉えた自分で生きることなのだ。





私たちは他者の目を気にして生きている。

生まれてから最初に見るのは、母親の目だ。母親に自分の存在を受け入れてもらわないと死んでしまうので、赤ちゃんにとっては死活問題だ。

成長するに従い、家族や友人、そして学校の先生や同級生、先輩、後輩・・・と関わる他者が増えていく。

他者(社会)のルールに従わないと生きていけない仕組みがある。その最たるものが貨幣だ。

自分の意識の中に、他者からの目(圧力)が幅を利かすに従って、知らず知らずの内に本来の自分を忘れていく。

自分というものが他者の目によって作り上げられたとき、そこに自我が発生する。

この「自我」は本当の自分ではない。

そろそろ本当の自分を思い出すときが来ている。


もちろん自我の確立は大事だ。自我が確立していないと他者とのコミュニケーションの基礎ができない。

しかし、それだけではコミュニケーションは上手くいかない。他者の目(超自我)の先には新しい自分が存在する。

自我を超え、他者の目を超え、新しい自分になることでようやく第二の人生が始まる。

第二の人生を生きることこそが、この地球に居る理由なのだ。


時間は過去から現在、そして未来へと続く。

しかし、未来から現在、過去へという流れもある。

流れには必ず2種類ある。温まった空気は上昇し、冷やされた空気は下降する。

動脈があれば静脈がある。流れの中に陰陽がある。

時間にもまた流れがあり、過去から流れるものと、未来から流れてくるものがある。

私たちが思い描く未来の夢は、未来から流れてくるものだ。

そして、私たちの身体は過去から流れてくるものだ。

未来から流れてくるものを身体で受け止めているのが今だ。

だから、過去に上手くいった方法や記憶で受け止めようとすると、未来から流れてくるものをこぼしてしまう。

過去の記憶は未来の夢には使えない。未来の夢は過去の記憶から導かれるものではない。

全くもって未知だけれど、切実に実現したいものが未来の夢だ。

未来に夢があると、人は動き出す。自分の中からそのエネルギーが湧いてくる。

もしエネルギーが湧いてこないなら、自分の過去にその答えがあるかもしれない。

自分の過去を振り返るとそこには道ができている。根底に何かを強く求める衝動がある。

表面的な行動ではない、もっと深い衝動。魂からの衝動がそこには隠れている。

もし過去を淡々と受け止められるなら、この魂の衝動に気づくかもしれない。

その魂の衝動の先に未来の夢がある。それは個人的なものではないのだ。

人間はたかだが数十年の命だが、この衝動には何十億年という意志が積み重なっている。

人間にはそれほどの意志の強さが備わっているのだ。







ドリームメーカーという言葉を最近聞いた。

夢を描く人だが、単なる夢想家ではない。

自分にとってどれだけ本気で夢を実現したいかが重要だ。単に念仏のように、~したい、と思っていてもそれではだめだ。

ちょうど頭だけで思い描くのは本気とは言わない。

身体全体で思い描くのが本気だ。

もっと簡単に言うなら、どれだけ腑に落ちているのかだ。腑に落ちるとは、ハラに落ちることと同じ。

本気で叶えたいものは頭よりもハートに落ちて、さらにハラに落ちる。

すると頭とハートとハラが同じ方向を向く。

本気とは気(エネルギー)が真っ直ぐに揃うことなのだ。

夢は腑に落ちるほど直接的な(自分にとってごく身近な、切実な)事柄なのだが、具体的にはそれがどのような状態かは想像もできないし、到達する方法も分からない。

なってみないと分からないのだが、どうしてもそれが見てみたい、やってみたいのだ。それが夢なのだ。

そしてその真っ直ぐな気(本気)によって夢へと引き付けられていく。

夢は自分を新しい自分へと連れて行ってくれるし、今見えている世界の外へと連れ出してくれる。

わくわくもするけど、少し怖くもある。夢は自分のまだ知らない世界にしかない。

それが生きる力を生み出してくれる。だから人生は素晴らしいのだ。


人に気持ちがあるように、植物にも気持ちがある。

生命には意志がある。生命とはまとまる力であった。まとまればそこに意志が発生する。

植物もまたまとまったモノとして意志を持っている。そして、意志を持つもの同士は対話をしている。

対話によって自分の存在を知り、自分の行動を決める。

植物も対話をして自分の行動を決めている。

春になれば桜は咲き、タンポポの種は新しい地へと飛び立つ。

環境と対話し、他の植物たちと対話して自分の生き方を決めている。植物が持っている力だ。

人間だけが対話をしているのではない。

動物や植物、そして鉱物さえも対話をしている。人間の五感では分からないだけだ。

全ての存在に生命を感じ、繋がりを感じることができるなら、その人は害のない人になる。

むしろ生命を応援し、見守る存在だ。

コーチの生き方とは生命そのものを見守ることなのだ。

Nao ± with U Happy B.B.S

ビルとオアシス

Nao± @台湾
都会の中で目にする公園なら普通なのかもだけど・・・
あるんだぁ〜こんな場所がってところに遭遇したのでパシャ
しかもそこで育っていた物を頂いてきました!
ありがとうおじさん!おばさん!感謝です!

茎レタスも大きく育っていたし、名もわからない野菜も沢山頂きました。
無農薬無化学肥料で育てているらしく、素晴らしい畑だなと嬉しくなりました。

バナナも出来ていて、まだ食べられるような感じではなかったけど、原種まだ残ってるかな?
可能性低いけど台湾バナナがもし手に入れば太くて短いバナナを紹介しますね。
しかし本当に都会でこんなオアシスと出会えたのは、嬉しいハプニングでした。

https://smart-666.amebaownd.com/posts/5928524

この世界にはエントロピー(乱雑さ)というものがある。

普通、冷たいお湯と温かいお湯を一緒にすると温度は均一になろうとする。これは混ざり合って均一になる方が乱雑になるからだ。割れた卵は元に戻らないのもそうだ。

しかし、このエントロピー増大の法則に反するものがある。それが生命だ。

生命には元々エントロピーを現象させる、つまり、乱雑さが減ってより秩序化していく方向性を持っている。

しかし、生命には寿命がある。老化もする。これはエントロピーが増大している。

人は生命の力(エントロピー減少)と混沌へと還る力(エントロピー増大)を同時に持っている。全ての存在はその2つを持っている。

つまりは陰と陽なのだ。陰という遠心力(引き離し、バラバラにする力)と、陽という求心力(まとまって一つになる力)を共に持っていて正常なのだ。

陰と陽の両方を理解し、そのバランスを取ることが人間の道(タオ)と言える。

今の時代は、この陽の力を見失っている。一つにまとまる力、つまり生命力を発見できていない。

まるでロボットのように考え、身体をロボットのように感じている。メンテナンスをすれば長持ちするとかだ。

生命力は秩序だ。身体はこのまとまる力が幾層にもわたって機能し、膨大なネットワークを作っている。そして自律機能を持っている。

頭で考えたメンテナンスは間違うことが多々あるが、自律機能は本来の状態を知っていてそこに戻そうとする。

この力を身を持って知ることが悟りではないのか。

当たり前に存在している自分を当たり前ではないものとして再認識する道が悟りではないのか。

そして、コーチとはその力の発見を手助けし、自分が当たり前の存在ではない、価値そのものであることを思い出させてくれる存在なのだ。




現代ではテレビや携帯、パーソナルコンピューターと、電子機器であふれている。

電気、電子の発見によって人類は進歩してきた。

大脳新皮質という生物として高度に発達させたものによって人間は文明を作り上げてきた。

その大脳新皮質が人間から離れ、AI(人工知能)のようなものへと進んでいく。

今の人工知能には決定的に欠けているものがある。それはハラが持っているまとめ上げる力だ。

人間は大脳だけでは生きられない。腸(ハラ)があることで、上手くバランスでき、地に足を着けながら創造活動を行える。

創造とは元々生命が持っている力だ。ハラを忘れ、大脳の活動だけに重点を置くなら、文明は消えてなくなる。

ハラは分かり合える感覚を生み出してくれる。和する心はハラにある。


人類は電気によって文明を発達させたが、最初は直流回路だった。そこに交流回路が登場した。ニコラテスラによるものだ。

交流の登場によって今の文明は支えられている。精密な電子回路が作られ、情報を瞬時に処理できる。

電子機器の世界は、人間とは切り離された世界のように見えるがそうではない。

私たちの身体は原子(電子)によって形作られている。電子が集合したものが私たちなのだ。

そうであるなら、人間は高度に進化した電子回路を持っていると言える。

単に電子が移動するだけなら、それは直流だ。経絡やツボは電気伝導率が高い。人間を維持している電子回路になる。

そして、交流回路が人間には存在する。交流とは振動だ。

人間が交流回路を発見し、使えるようになってくると新しい認識が開かれる。可能性も広がる。

人間が外の世界に見つけて発展させてきたもの(電子に支えられた文明、そしてAI)を今度は内側に発見し、そして進化に使うことができる。

無限に広い世界(宇宙)の可能性を自分自身の中に見出すことが、人類を次のステージに踏み出させるのだ。